歴史:作り話、それとも科学?

History: Fiction or Science?
歴史:作り話、それとも科学?

1 history-fiction-or-science-chronology
by Anatoli Fomenko
アナトリー・フォメンコ著
http://www.caam.rice.edu/~yad1/miscellaneous/References/Other/%28E%29%20Anatoly_Fomenko_History_Fiction_or_Science_1.pdf

年代歴1
問題の紹介。スカリゲリア(世界史の教科書)的な年代歴の批評。
数学的な統計学によって提供された年代鑑定法。日食/月食とゾディアック。

年代歴2
王朝的な平行性の方法。ローマ。トロイ。ギリシャ。聖書。年代歴的なシフト(ズレ)。

年代歴3
年代歴に応用されたとしての天文学的な方法。プトレマイオスの Almagest
Tycho Brahe. コペルニクス。エジプトのゾディアック。

年代歴4
ロシア。英国。ビザンチン。ローマ。

年代歴5
ロシア=ホード。オットーマン=アタマン(オスマントルコ)。中国。日本。エトルースカ。エジプト。スカンジナヴィア。

年代歴6
ホード-アタマン帝国。聖書。宗教改革。アメリカ。パスオーヴァーとカレンダー。

年代歴7
世界的な歴史の再構築。ノヴォゴロドのカーン(ハーン)=ハプスブルグ王朝。種々雑多な情報。
ユーラシアとアメリカの歴史と文化における大いなる帝国の遺産。
http://www.chronologia.org/en/

年代歴1:第三章
黙示録の中で描写された天文学的なホロスコープの新たな日付
より、

1.提案された探求の方法

私達は以下の自然的な方法で、天文学的、または占星学的な象徴を含んでいる、太古の遺物を年代鑑定する試みを行ってみましょう:私達は占星学的な象徴の、中世のシステムの援助と共に、幾つもの太古の文献の中に含まれた天文学的な言及を調べてみましょう。占星学についての多くの中世の本は、例えば、惑星を天界的な球体(空)を渡る二輪馬車、またはそれらを引く馬と共に一致させます。惑星的な運動は、恐らく馬の一っ跳びとして知覚されました。

私達の手法は、占星学的な象徴と、私達が理解可能な言葉におけるそれらの解釈の両方を含んでいる、検証されている文献と、類似した中世の文献の比較に基づきます。言い換えると、私達が提案するのは惑星を二輪馬車、または馬に一致させる中世の占星学的な「辞書」の一種の助けと共に、太古の占星学的な記録を読む事です。勿論、その方法の応用の可能性は、古い文献を年代鑑定するその他の独立的な行程によって確認可能な理解出来る結果を得る事を、もしその様な辞書の使用が助けられるなら、実証されます。N.A. モロツォフは、明らかな天文学的、または占星学的な象徴を含んだ幾つもの聖書的な本に、この行程を応用した最初の人でした。この紹介において数字化された日付は、モロツォフによって得られました。この題材についての彼の研究([542]と[543])が現れて以来、多くの専門家達が彼の計算における間違いを見つけようと一貫的に、そして非-成功的に試みましたが - しかしながら、中世の「占星学的な辞書」の援助を共にした聖書的な文献の彼の解釈の正確さは、ルールとして、疑いを否定しました。モロツォフの占星学的な文献の解読は、最初に、歴史家達によって完全に自然的で、異常を含んでいないと知覚されました。

N.A. モロツォフはまた、聖書的な(ヨハネの)黙示録の著者は意図的には何も暗号化せず、彼の時代の天文学的な言語を使い、彼が実際に観ていた天界的な球体(i.e. 空)を描写していただけだと言う彼の推測における先駆者でした([542]と[544]、第一巻、3-70ページ)。

黙示録の年代を西暦4世紀とするモロツォフの年代鑑定は、実際に黙示録の文章の中に含まれたはっきりとしたデータには100%一致しないと、私達は前もって読者に伝える事が出来ます。西暦6世紀以後のスカリゲリア(教科書に載っている)年代歴の正確性に誤って納得したために、モロツォフは最初から、全く成功的では無いのに中世初頭に留まり - 偏見を持たない分析が表す様に完璧に当てはまるものがあるのに、西暦15世紀の終わりからのもっと良い天文学的な解決策を意図的に否定しました。

黙示録とその創造の年代についての一般的な情報

この筆者達は、1898年、1912年、そして1968年の聖書のロシア版からの黙示録を引用します([67])。翻訳は新国際版を使います。

啓示書としてもまた呼ばれる(ヨハネ/ジョンの)黙示録は、新約聖書の27冊目で、最後の本です。その黙示録は新約聖書の欠かせない部分であると考えられています。しかしながら、中世のロシアにおいて黙示録は、ルールとして新約聖書の文献には含まれていませんでした。年代歴6の中でスラヴ語の聖書に関する章において私達が実証する様に、黙示録のスラヴ語の文献は例外的に珍しく - 例えば6世紀-8世紀に年代鑑定される黙示録の文献は1つだけしか知られておらず、それに対して新約聖書のその他の部分は、同じ期間から158種知られています。更に加えて、17世紀に成ってまでも、黙示録と神聖な聖者ジョン(ヨハネ)の啓示書は明らかに全く異なった本を示唆する事が出来ます。(年代歴6の、付属文献を参照して下さい。)

これが意味するのは、黙示録の歴史、そして特にその年代に関して緊密に関係している多くの不確かさです。提案された年代はとても様々で歴史家達の間の不同意を示しています。例えば、ヴァンデンバーグ・ヴァン・アイシングは、黙示録を西暦140年とし、ガーナックと E. フィッシャーによると西暦136年以前では無い、等々です。([765]の調査を参照して下さい。)

I.T. センダーレンドはこう記述しました:「この時代[西暦1世紀]、または、あらゆるその他の全ての時代における啓示書の年代鑑定は、とてつもなく複雑な仕事です」([765]、135ページ)。

更に加えて、V.P. Rozhitsyn と M.P. ザーコフの意見において、黙示録の創造は西暦2-4世紀に完結され、恐らく4世紀の可能性が最も高いでしょう!この意見は、スカリゲリア-ペタヴィウス(世界史の教科書)の年代歴にまったく一致しません。

その黙示録自体は、それ自体が書かれた時の時代の、はっきりとした年代歴的な示唆を一つも含みません。黙示録の創造の時代において間違いなく生きていたとして確認された実際の歴史的な人物は一人もいません。その文献自体において、絶対的な日付は全くありません。黙示録は一般的に新約聖書の書かれた本の最後であると考えられます;しかしながら、F.H. バウアーは、例を挙げると、黙示録は最後では無く、「新約聖書の最も最初の記述である」と断言的に主張しました([489]、127ページ)。A.P. Kazhdan と P.I コヴァレフはまた、黙示録は新約聖書の最後の一冊では無く最初の本であると言う意見を持ちました([765]、119ページ)。

更に加えて、幾らかの研究者達は、黙示録を、福音書と3つの使徒書簡を記述したとされる、ジョン(ヨハネ)に帰属させる事をはっきりと否定します。一般的に、黙示録の著者についての正確な情報は存在していないと推測されています([448]、117ページ)。

G.M. Lifshitz はこう記述しました「黙示録の著者は天文学をよく知っていて:彼が描写する龍、獣、馬、等々のイメージは、天界的な球体(空)における星座の姿に似ていて、それは中世の星の図表の上にも同様にデザインされています([489]、235-236ページ)。

しかしながら、これらの思考の全ては、20世紀の初めにおいて N.A. モロツォフによって表現されました。明らかに、彼の理由づけの一線は、上述された著者達の少なくとも何人かに強い印象を与え、そして彼等は実際に、その様な研究者達にとても典型的ですが、彼(モロツォフ)に言及する事無く、彼の主張を繰り返しました。

M.M. クブラノフはこうまとめます:「年代歴の問いについての矛盾的な論説のこの豊富さは、主に、頼る事が可能な証拠の少なさによって説明出来ます。広まっている状況の下で、それらの記述の年代鑑定のための唯一の方法は、その記述自体です・・・新約聖書の頼りがいのある年代歴の確率は、未だに解決されていない問題です」([448]、120ページ)。

ですから私達は、終に、黙示録自体に目を向けましょう。その天文学的な本質は、特に太古の天界的な図表と比較された時、直ぐに明らかに成ります。(17世紀に年代鑑定されると主張される中世の地図、例えば – [元記事の]図3.1,3.2,3.3、そして3.4を参照して下さい。)

明らかに、黙示録が記述された少々後に、その明白な天文学的な意味が忘れられました。もし、幾らかのプロの天文学者が、太古の図表の上の姿と黙示録の描写の類似性に気付いたとしても、彼がこれを偶然であると知覚したのは、彼が、彼自身のスカリゲリア(世界史の教科書)の知識(洗脳)から、彼を解放出来無かったためです。今日の聖書の歴史家達は、聖書的な文献の中のあらゆる天文学的な言外の意味を発想する事が出来ません。私達がこれから実証する様に、天文学的に聖書の幾つかの断片を年代鑑定するのにはユニークな可能性があるかも知れません。もしこれが当てはまるなら、私達は「伝統的」なものが主張するのとは全く一致しない日付を出すでしょう。黙示録は、世の終わり、または審判の日についての、有名な預言を含みます。この預言は、その著者が天体的な球体の上で観測した象徴的な描写に対する直接の関係です。これは、17世紀頃に生きていた、黙示録のイラストを描いた画家によって未だに覚えていられました。私達はその様な例を図3.5に与えます。私達が既に記述した様に、後の時代の解説者達の、黙示録の天文学的な象徴を理解出来無い無能さは、正しい年代歴についての知識の消失と、16-18世紀におけるその後の歴史家達によって紹介された湾曲と共に直接関連しています。その様な危険な題材と考えられたものには暗黙の一般的なタブーがあったかも知れず、黙示録の誤った年代設定に結果したかも知れません。どちらの場合にせよ、黙示録が含んでいる天文学的な描写の理解は、ある時点において失われてしまいました。黙示録は、その読者達の眼の中の、そのはっきりとした天文学的な色合いを失いました。しかしながら、その「天文学的な構成要素」は、単純に例外的に重要なでけでなく - それだけが、その本自体の年代鑑定のために十分です。

私達は黙示録の天文学的な断片に目を向けてみましょう。私達の探求の主要なアイデアは、黙示録と中世の天文学的な図表との比較において構成されています。その様な比較はその2つの間の多くの平行線と、更に直接の偶発を明かします。これは、黙示録の著者によって記述された天文学的なホロスコープの自信を持った判断を許します。

私達は読者達が、何らかの方法で星々を示している星の図表に彼等の注意を寄せる事を提案します。現代の空の図表でも十分でしょうが中世の星の図表だと更によく、例えば図3.1と3.2に私達が供給した Albrecht Dürer 、または人が3.4と3.3に観る、Almagest からの図表が良いでしょう。

3.北斗七星と王座

黙示録はこう述べます:「ヨハネからアジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから、また、その御座(王座)の前にある七つの霊から、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。」
黙示録1:4-5)

フランスにおいて、北斗七星は未だに魂の二輪馬車と呼ばれています。これは、中世の本の中で、アピアヌスによってどの様にこの星座が描かれていたのかです([1013])。この太古の姿は以下に観られる事が出来ます – 年代歴1、4:3.7.参照。)

その王座:北斗七星は、故によく知られた星座(大熊座)の真ん前です。(図3.6に与えられた星の図表の断片を参照。また、黙示録のギリシャ語の文献は王座「Throne」[tronos]に言及します。)

4.パトモス島の上で起こった出来事

黙示録はこう述べます:「御座からは、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが、発していた。また、七つのともし火が、御座の前で燃えていた・・・また御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。」
(黙示録4:5-6)
故に、栄光の中で神が座るその王座の前に、7つのもし火のランプが燃えていました。「水晶に似たガラスの海」は明らかに黙示録の著者によって観測された夜空です。

黙示録はこう言います:「わたしヨハネは、・・・パトモスという島にいた。
(黙示録1:9)

その観測の地点は明確に定義され - 地中海のパトモス島です。黙示録の全体を通してまた強調されるのは描写された出来事の主なエリアが天界的な球体(空)だと言う事です。

5.カシオペアの星座とその王座(北斗七星)は、中世において、彼の王座に座るキリストとして描かれました

黙示録はこう述べます:「その後、わたしが見ていると、見よ、開いた門が天にあった。すると・・・御座が天に設けられており、その御座にいますかたがあった。その座にいますかたは、碧玉や赤めのうのように見えた。」
(黙示録4:1-3)

その王座に座っている人は、中世の星の図表の殆ど全て、例えば - Zodiaque expliqué ([544]、第一巻、81ページ、図36)、または A. Dürer ([544]、第四巻、204ページ)、アル-スーフィの図表([544]、第四巻、250ページ、図49)等々に見られます。図3.7と3.8はその様なイメージを供給します。

それらの図表の全ては、王座についたカシオペアを描写します。

その王座についた姿は16世紀の多くの星の図表の上に見られ、通常、天の川の中心においてです。黙示録はその王座を囲む虹があると示唆し:「御座のまわりには、緑玉のように見える虹が現れていた」(黙示録4:3)と述べます。その虹は、架け橋の様に夜空に広がる発光的な天の川のための正確なイメージとして十分です。

「王座につかれた人」と、(私達が「碧玉(ジャスパー)や赤めのう(カーネリアン)の様に見えたと伝えられる)宝石との真正面からの比較は、黙示録のイメージが天界的な球体から取られていると言う印象を強化します。実際に、星々ときらめき輝く宝石との比較は、完璧に理解可能で自然的です。

黙示録が実際に言及する、カシオペアの星座とキリストとの一致は、中世の図表の上で、故にははっきりと描写されました。例えば、ラディウスの本([1361])は、その上でにされたカシオペアを共にした王座の絵を含みます。その王座の背もたれが十字架の役割を果たし、そしてその姿の両手は、それに対して縛られています。これは明らかに、キリスト教の磔の一種です。(図3.9参照)

王座の上の王の姿は、エジプトの星の図表の上にもまた見られます([1162]と[1077])。図3.10と3.11の上で、人はエジプトの図表を見る事が可能で、イメージのエジプトの象徴が驚く程にヨーロッパのものと類似していて、それらの両方が同じ教義に帰属している事を意味し、それを明らかにしています。

故に、黙示録は、中世の時代に王座へとつかされたキリスト(王)の「星的なイメージ」として実際に知覚された、カシオペアの星座への言及を含みます。

6.天の川

黙示録は、「その王座を囲む、エメラルドに類似した虹」の事実に言及します(黙示録4:3)。人は、全ての中世的、そして近代的な星の図表の上でその王座の星座を囲んでいる「虹」を見つけます。「人が座っている」その王座の星座は常に、天の川の発光的な帯によって囲まれています([1162]、[1077]と[1361])。

7.星座的な24時間と北方の王冠の星座

黙示録はこう言います;「また、御座のまわりには二十四の座があって、二十四人の長老が白い衣を身にまとい、頭に金の冠をかぶって、それらの座についていた。」
(黙示録4:4)

完全な天文学の教科書は、その昔の日々において空が、24の羽根の形をした帯に分離され、つまり天界的な球体の極(空の北極)において一点集中する、24の子午線の部分に分けられていた事を指摘します。(例えば[542]、44ページ、または[544]、第一巻、7ページ、図6を参照)。それらの部分はまた、星座的な時間、または直接の星的な上昇の時間と呼ばれました。その24時間は、星座的な座標のシステムを定義し、それはザッカライアス・ボーンマンの本の中の天界的な球体の中世のイメージの中にもはっきりと見る事が可能です(図3.12)。

故に、黙示録のそれぞれの「長老」は明らかに、座標の赤道的なシステムにおける星の1時間で、それは天文学における天界的な球体のための基準的な分類です。

「長老達」の白い服は単純に、空の星々の白い色の体現です。その黄金の王冠は明らかに、頂点の近くに位置する北方の王冠(北極星に言及し、24人の「長老達」、時間、または部分の全ての頭の真上です。(図3.13)。

8.獅子座、牡牛座、射手座(注:水瓶座)、ペガサス(注:蠍座)

黙示録はこう述べます;「御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座のそば近くそのまわりには、四つの生き物がいたが、その前にも後にも、一面に目がついていた。」
(黙示録4:6)

これは、その王座の星座を囲む、天界的な球体の描写で、星々(または「目」)と共にちりばめられています。「その王座の周り」の場所の、元々の不透明な言及が理解可能に成り:その王座の実際の星座が言及されると同時に、その背景の全てに渡って散りばめられたより小さな星々に言及されます。

ですが「四つの生き物」と「目がついていた」は何を意味するのでしょう?これは、星の図表に目をやると明らかに成ります。更に加えて、それに続く行の中で、黙示録は鮮明にこう言います:「第一の生き物はししのようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人のような顔をしており、第四の生き物は飛ぶわしのようであった。」
(黙示録4:7)

獅子座は、秋の始まりの前(夏)に、太陽によって訪れられるゾディアック的な星座です。(例えば、Dürer とグリーンバーガー([1162])の中世の図表を参照して下さい。また、図3.4、3.3そして3.14を参照。)

牡牛座は、夏の始まりの前(春)に太陽によって訪れられるゾディアック的な星座です(Dürer とグリーンバーガーの同じ図表と同時に図3.15を参照。)

人の様な顔の生き物(センタウルス)は明らかに、冬の始まりに太陽によって訪れられる射手座のゾディアック的な星座への言及です。(図3.16参照)
訳者註:此処で言及されている人の顔を持つ生き物は水瓶座です。)

その「飛ぶ鷲の様な」生き物は、その様な星座は存在しますが(図3.17参照)、実際に鷲ではありません。これは、羽根のついた生き物である有名なペガサスである可能性が最も高く、上述に示唆された黙示録の中の星座の数を完結させます。太陽はペガサスの星座を、春の始まりの前(冬)に訪れます。(図3.18参照)。本来、ペガサスはゾディアック的な星座では無く赤道的な一つですが;しかしながら、ペガサスは、魚座と水瓶座のゾディアック的な星座の間の黄道に殆ど触れます。黙示録のギリシャ語の文献の中には、鳥では無くむしろ、哺乳類に言及する言葉さえ存在します([542])
訳者注:現在の蠍座は、一昔前まで、鷲座とも呼ばれていました。故に、此処で言及されているのは「ペガサス」では無く蠍座です。つまり、春分点が牡牛座の中にあった時代、夏至は獅子座の中にあり、秋分は蠍座の中にあり、そして冬至が水瓶座の中にあったと言う事への言及です。以下のゾディアックの図を参照して下さい。

牡牛zodiac.jpg

故に、黙示録は明らかに黄道に沿った4つの主要な星座(春分/秋分、夏至/冬至)を数え:獅子座(夏至)、牡牛座(春分)、射手座(注:水瓶座/冬至)、そして「殆どゾディアック的な」ペガサス(注:蠍座/秋分)です。

黄道の上の直角(十字)の軸における4つのよく知られた星座(i.e. 春分/秋分、夏至/冬至)の選択は、中世の天文学の基準的な方法です。明らかに、その4つの星座は(恐らくその他も)、Brugsch のテーベのホロスコープからの四角形のゾディアックの角度においても類似して設定されました(年代歴3、第二部参照。)類似した四角形のゾディアックはまた、中世のインドにおいても描かれました([543]、115ページ)。

故に、季節を代理する4つの星座が、四角、または十字を形成しました。ですが、北極から伸びる正に24の星の部分(または羽根)があり、それらの動物の星座のそれぞれ一つ、一つには、正に直接の上昇の6つの部分があり、つまり、それらは、それらの周りに6つの「羽根」も持っています。言い換えると、それぞれの動物の星座は、天界的な球体の上のそれらの6つの部分-羽根によって覆われた地域の中に位置します。

着目すべきは、その中で私達が、「この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その翼のまわりも内側も目で満ちていた。」(黙示録4:8)と私達が読む、黙示録の中に、この全てが絶対的な正確性で描かれている事です。此処におけるその「目」は、星々です。ついでに、ギリシャ語の文献はこれを「内側と周り」として形成します([542])。

「内側も周りも目に覆われた動物」は、殆ど恐らく星座で、ですから問われている「目」は、星的な本質であるべきでしょう。実際に、それらはあらゆる中世の星の図表において、正にこの形状で描写されています(例えば、図3.1と3.2の Dürer の図表、そして同時に図3.4と3.3の Almagest の図表を参照して下さい。)

9.北方の王冠(北極星)の日々の回転

地上的な球体の北半球の中間的なゾーンにおいて、その部分、または「羽根」の上部は決して沈みません;しかしながら、その下部、または「長老達」の「膝」は、最初に地平線の下に沈み、その後再びそれは上昇します。故に、それぞれの星的な時間は、地平線の東側の部分において膝から上昇し、そして西側において膝まづく様に見えます。それらは故に、その回転の中央である空の北極と、その近くの王座の星座を崇拝している様に知覚されました。

再びもう一度、この全ては正確に黙示録の中に描写されています。実際に、その黙示録はこう述べます:「二十四人の長老は、御座にいますかたのみまえにひれ伏し、世々限りなく生きておられるかたを拝み、彼らの冠を御座のまえに、投げ出して言った」
(黙示録4:10)。

地中海の緯度における日々の回転の行程において、北方の王冠(北極星)の星座は最初に頂点へと昇り、その後、その地平線の北方の部分へと下降します。私達が考えているのは、パトモス島の緯度のための地域的な頂点です。

黙示録の中の天文学的な象徴の存在が既に完璧に鮮明に成ったので、私達は黙示録の中に記述されたその他の星座と星々の具体化は続けません([542]と[544]参照)。

10.中世の天文学における馬の様な惑星

私達は此処で、年代鑑定に関して極度に重要な事実の幾つかを扱います。惑星に対して天文学者達の関心を最初に引き寄せたのは、それらの素早い運動でした。それらの移動は観測者の眼に対して、とても不均整でした。地球の軌道の外側に位置する外側の惑星と呼ばれるものは、定期的なループ(輪)において運動していると描写されました。土星と木星のためのその様なループの例は、図3.19と3.20の中で見られ、火星に対しては - 図3.21に見られます。それらの惑星は停止し、レトログレード(後進)を始め、そしてその後、再び前向きに急ぎ出す様に現れます。これは明らかに、クリスタル(透明)な蒼穹(空)において、馬達が駆け回る事との比較に生を与えました。天文学と占星学にこの鮮明なイメージが印象的だったのは、驚きでは無いでしょう。

太古のガウル(南フランス)の貨幣は、馬的な惑星を描写し、図3.22の上で表されています(また、ジョン・ブレークによる天文学的な神話、1887年も参照して下さい。)それらの一つは、水瓶座の星座の瓶の上を飛び越える騎手(S の文字)を共にした馬を描写します。この星座は、例えばアルブマサーの中世の本([1004])の中においての様に、瓶の形状、またはそれから水を注ぎ出している瓶を持つ人によって、頻繁に描かれました。

2つ目の貨幣の上に私達は、その背中に蟹座を乗せた、馬的な惑星を見つけます。その馬は、山羊座の上を飛び越えています(図3.22参照)。

それらの古い貨幣は明らかに、中世の天文学者達の少なくとも幾らかが、惑星を馬達と一致させた習慣を示唆します。

この象徴性の更なる発展は、自然的に、二輪馬車に繋がれた馬達の形状における惑星のイメージの使用に繋がりました。太陽的なイメージは特に中世において広く使用され、7つの惑星(月火水木金土)に含まれました。馬達に引っ張られる太陽は、1562年からの Ioanne Tesnierio の本([1440]と図3.23)、1489年に出版されたとされるレオポルディの占星学的な研究([1247]と図3.24)、そして1515年のアルブマサーの本([1004]と図3.25と3.26)の中で体現されています。

二輪馬車に乗った火星を引っ張っている馬達は、Ioanne Tesnierio の1562年の本([1440]と図3.23)と、アルブマサーの1515年の本([1004]と図3.27)の中に見られ、火星は、その占星学的な記号で言及されています。

時にその様な本は、二輪馬車に乗る実際の馬達を描写し、二輪馬車と馬達を一致させました。木星の二輪馬車は例えば、駆け巡るセンタウルスによって引っ張られた巨大な車輪の上に描かれ、アルブマサーによる本([1004]と図3.27)の中で見る事が出来ます。

その概念は発展しました。時にその馬達は星座の全体を引っ張りました。1562年に帰属される Bacharach による本の中で([1021])、馬達は御者座を引っ張ります。類似した形状はラディヌスの占星学(図3.28)にも見られます。

天文学者達は惑星のジャンプに多大な価値を帰属させたので、前進、またはレトログレード(後進)のどちらかの、それらの運動が始まる寸前の停止(している様に見える現象)に言及するために、停止した二輪馬車の特別な象徴を用意しました。アルブマサーによる中世の本([1004])は、例えば、全ての惑星:水星、金星、火星、木星、そして土星の停止した二輪馬車を描写します(図3.25と3.29)。

時には馬の代わりに二輪馬車は、グリフィン、鷲、等々の想像的な動物によって引かれました。アルブマサー([1004])とIoanne Tesnierio ([1440]と図3.23と3.30)による中世の本の中で、類似した「馬達」が惑星を引っ張るのが描写されました。

幾つもの言語の中で1週間の日が、「惑星的な一週間」と呼ばれるものと一致させられているのはよく知られています。もう一方で一週間の日々は頻繁に、馬達として描写されました。馬的な惑星が星座の間、または中を通る時、それらの星座は「鞍を付けられた」と言及され、故にそれらをこの馬の騎手へと変格させました。

ですが、私達は黙示録に戻りましょう。

11.射手座の中の木星

黙示録はこう述べます:「そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。」
(黙示録6:2)

これは明らかに、その栄光的な騎手、または弓を伴った星座を運んでいる、明るい馬的な惑星です。ゾディアックの中にその様な星座は一つしか無く - 射手座です(図3.16)。

その馬は白いと言われました。ギリシャ語の文章はこれを「眩しい白」、または「輝いている」とします([542])。「勝利の上にもなお勝利を得よう(征服者)」の特徴と、これが乗って出る最初の馬である事実のコンビネーションは、これが木星に言及している可能性を最も高くします。

もう一つの眩しい白い惑星は金星ですが;しかしながら、黙示録の文章(12:1)が太陽は乙女座の中にある事を示唆し、この場合、太陽から決して遠く離れる事の出来ない金星が射手座の中にあるのは不可能なので、それが其処にある事は出来ません。私達は故に、木星が射手座の中にあった事実の直接の言及を与えられます。

12.双子座、または牡牛座のどちらかにおける、ペルセウスの下の火星

黙示録はこう言います:「すると今度は、赤い馬が出てきた。[ギリシャ語の文章はこれを以下の様に訳します:「もう一つの馬が出て来て、灼熱の赤だった([542]参照)」そして、それに乗っている者は、人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きなつるぎを与えられた。」
(黙示録6:4)

私達が此処で見ているのは、赤い馬的な惑星の描写です。その様な惑星は一つしか無く - 火星です。つるぎを共にした星座も一つしか無く - ペルセウス座です。故にペルセウスは黙示録において火星の騎手として描写されています。結果的に火星は、ペルセウスを上に伴った、双子座、または牡牛座のどちらかのゾディアックにおける位置にあります(図3.31の中世の星の図表の断片を参照して下さい。)これは、プトレマイオスの Almagest からの図表です。N.A. モロツォフは、これがゾディアック的な牡羊座が、ペルセウスの下に位置していた事を示唆すると提案しました([542])。しかしながら、その「下」と言う言葉が、黄道との関係においてのみ理解される事が出来るので、つまり、ペルセウス座はその極から、黄道へと投影されていると言う事です。ですがその様な場合ペルセウスは – 彼の背中を下にして - 不自然な位置において火星の上に吊るされるでしょう。これは、その同じ中世の図表、図3.31の上においても観測される事が出来ません。

この描写は、殆ど間違いなくペルセウスの足の下に位置するゾディアック的な星座に言及します。牡牛座か双子座のどちらかである以外は出来ません。ペルセウスはそれらの上に立っている様に現れます。ですが牡羊座の場合、彼は、彼の背中に横たわり、彼の足は上の方へ向けられます。更に加えて、その観測者の地域的な地平線の位置(地中海)を考える事が重要です。実際に、その観測者が、火星がペルセウスの下に位置すると記述する時 - つまり、ペルセウスが火星の上に見える時 - これが意味する可能性の最も高いのは、その地域的な地平線に対する関係において、それらの位置が与えられていると言う事です。例えば地中海地方の特定の場所の様な地域的な地平線に対する関係を考慮して、その観測者が火星の上にペルセウスが見られるその様な天文学的な解決策を人が探すのは当然です。

これは、N.A. モロツォフによってよく理解されていました。その解決策の一つの彼の熟考の間、つまり西暦1486年の解決策において、彼は火星に関する異常を全く記述しませんでした。ですが彼が示唆した日付、1486年10月1日には、火星は双子座の中に位置し、牡羊座ではありませんでした。私達は故に、火星が双子座か牡牛座のどちらかの中で探されなければならないと理解するべきです。

13.天秤座の中の水星

黙示録はこう述べます:「そこで見ていると、見よ、黒い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、はかりを手に持っていた。すると、わたしは四つの生き物の間から出て来ると思われる声が、こう言うのを聞いた、「小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、そこなうな」。
(黙示録6:5-6)

明らかにこれは水星で、主要な惑星の全ての中で最も見えにくいものです。太古において水星、金星、火星、木星、そして土星だけが、主要な惑星として考えられました。水星は正に「目に見えない」惑星でした。更に加えて、太陽に対するその位置的な近さのために、太陽光の強さ故に水星はめったな時にしか目に見えませんでした。故に、中世においては水星の位置を判断するにおいて間違いが頻繁に起こりました。

Synodal な翻訳は「汝の手の中の秤の上の1クオート」と述べます。ギリシャ語の翻訳によると、その騎手は彼の手の中に秤を持ちます([542])。第6章の全体は取引/貿易について述べます。小麦と大麦の価格さえも述べられます。マーキュリー(水星/ヘルメス)は商業のパトロン(守護)として考えられました。

故に水星は、天秤座の中において示唆されました。

14.蠍座の中の土星

黙示録はこう言います:「そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた。」
(黙示録6:8)

ギリシャ語の文章は「死の様に青白く、緑っぽい」と言う翻訳を供給します([542])。殆ど間違いなく、これは不吉な惑星、土星への言及です。死と名付けられたその上の騎手は、明らかに蠍座です。中世において蠍座に入っている土星は、大いなる苦難の前兆と考えられました。

ギリシャ語の文章は、その行のもう一つの部分を「彼等は力を与えられた」と翻訳し、この「死」の象徴の対と更に上手く一致します([544]、第一巻、46-47ページ、図27)。

N.A. モロツォフは、黙示録の4頭の有名な馬を、惑星と一致させた最初の人ではありませんでした。E. リーナンはこの論説をモロツォフよりも更にもっと以前に提案しました([725]、353ページ)。リーナンは以下の様に考えました:

赤い馬=火星(これは正解)、
黒=水星(これも正解)、
白=月(これは不正解)、
青白い=木星(また不正解)。

リーナンは最後の2つの一致のための証明を何も供給せず、そして、私達が見る事が出来る様に、それらは実際に黙示録の中で与えられた描写に一致しません。しかしながら、リーナンは、この天文学的な情報を基にした、黙示録の年代鑑定の試みさえ行いませんでした。

15.乙女座の足の下の月を共にする乙女座の中の太陽

黙示録はこう述べます:「また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。」
(黙示録12:1)

これは明らかに、その通常の中世的なイメージにおける、天界的な球体(空)の絵です。太陽が乙女座の中にあると名指しされました。私達は、乙女座が黄道の上の唯一の女性の星座である事を指摘しましょう。月は乙女座の足において位置付けられています。乙女座の頭の直接上に、その頂点に向かって私達は髪の毛座、または12星座を見つけます。あらゆる天界的な図表において人は、良く知られた球状星団、冠、または王冠を見る事が出来ます。それは、現代的な数字化によって、5024/M5e と言及されます。

黙示録は、12の星々の冠に言及します。星の図表の上の球状星団のための基準的な代理が、特に輪における正に12の星々の冠なのは興味深い事です。(例えば[293]の中の図表を参照して下さい)。

故に、太陽は乙女座の中で、月は乙女座の足元にあります。

16.獅子座の中の金星

黙示録は続いて私達にこう伝えます:「勝利を得る者に・・・彼に明けの明星を与える。」
(黙示録2:26、2:28)

開けの明星は、よく知られた、中世の金星のための名前です。ですがゾディアックの星座において「勝利を得るもの」は、勿論、獅子座です。これは「見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」(黙示録5:5)の行から直接続きます。黙示録のその文章は明らかに「勝利を得るもの」が獅子座である事を示唆しています。

17.黙示録に含まれているホロスコープによる、黙示録の天文学的な年代鑑定

黙示録は明らかに、空における星々の描写を含みます。それらは以下のホロスコープを私達に与えます:

1. 射手座の中の木星、
2. 双子座、または牡牛座の中の火星(N.A. モロツォフは此処に牡羊座も含みました)、
3. 蠍座の中の土星、
4. 天秤座の中の水星、
5. 乙女座の中の太陽、
6. 乙女座の足の下の月、
7. 獅子座の中の金星でした。

大まかな天文学的な計算のために:木星、火星、そして土星のこれらの基本的な惑星だけで十分です。太陽は素早く運動し、ゾディアック的な1周を1年で完結します。故にそれは、月を決定するにおいてのみ便利です。水星は通常、あまりよく見えません(上述参照)。故に、中世においてその位置を判断するにおいて間違いが頻繁に起こりました。

・N.A. モロツォフの主張([542]と[544]、第一巻48-50ページ)
N.A. モロツォフは、西暦4世紀よりも以前では無いとする黙示録の年代鑑定のために、木星、火星、そして土星の3つの基本的な惑星だけで十分であると主張したのは、ホロスコープ、つまり、惑星の配置によって示唆されるためで、西暦395年、632年、1249年、そして1486年にしか、当てはまらなかったためです。

N.A. モロツォフは西暦395年が最善の解決策と考えましたが、この解決策において火星の位置は牡羊座の上で、私達が着目した様に、あまり相応しくありません。モロツォフがこの答えに満足したのは、何故なら彼が黙示録は西暦4世紀以後に書かれたと言うのは不可能だと考えたためでした。ですが彼の結果は以下の方法で慎重に形成されました:「もし黙示録がキリスト教時代の最初の4世紀において書かれたなら、これは西暦395年に起こりました。」([542])。

しかしながら、現在において、太古の年代歴への新たな研究の後、モロツォフが、新たな時代(西暦)の最初の4世紀に対して彼自身を制限する本当の要点は無いと私達は理解します。

それらの制限から私達自身を解放した後、私達は2つの追加的な解決策を加える事が可能で:1249年の解決策と、1486年10月1日の解決策です。1249年の解決策がよろしくないのは、この場合、乙女座にあるはずの水星が、その年において獅子座により近いためです。

・主な主張(フォメンコ&ノソフスキー)
1486年10月1日の解決策が、黙示録の中で示唆された全ての状態を理想的に満足させ:

射手座の中の木星、
蠍座の中の土星、
牡羊座との境界線の双子座の中でペルセウスの足の直接の下の火星、
訳者注:双子座は、牡羊座との境界線を持っていません。双子座と牡羊座の間には、牡牛座があります。)
天秤座の中の水星、
乙女座の中の太陽、
乙女座の足の下の月、そして
獅子座の中の金星でした。

(図3.32の中に表された)1486年10月1日の惑星の配置は、黙示録の中で示された星座において全ての惑星が正確に見つけられる鮮明な証拠を供給します。私達は大まかなこれ等の計算のために現代的で、簡単であり、便利なターボ・スカイのソフトウェアを使用し、この天文学的な結果を確認しました。その結果は、3.33から3.39までの図表に体現されています。天文学的な解決策として、1486年が私達に与える応用を私達は見る事が出来ます。図3.40もまた参照して下さい。

1486年10月1日から2日の夜の惑星の見通しの状態は、ボスポラス付近の観測地点を例として使用し、地中海のために確認しました。1486年10月1日において日の入りは地元の時間で午後17:30で、グリニッチ標準時間では15:30でした。

新月の三日月は、日の入りの後、地元の19:00まで目視可能で、その後月は地元の地平線に沈みました。

土星は地元時間の20:00まで目視可能でした。

木星は地元時間の21:45まで目視可能でした。

火星は地平線の下にあったために、直ぐには見えませんでした。それは地元時間の21:05に上昇し、一晩中、目視可能でした。この時、水星は、地上の観測者にとって、太陽から最大限離れていて、殆どその(軌道の)楕円形の最大限で、M = +0.7の明るさでした。結果的にそれは地球からの目視のための殆ど最高の状態でした。水星は実際に、地元時間の20:15まで目視可能で、その後、地元の地平線に沈みました。金星はその夜、地元時間3:00に上昇しそして日の出まで完璧に目視可能でした。

このデータの全ては、大まかな計算に便利な、ターボ・スカイ・ソフトウェアの助けと共に行われた計算から受け取られました。

私達は1486年10月1日の解決策が、全ての観点から理想的であると再強調します。西暦1486年10月1日のための惑星の配置は、実際問題として、黙示録において驚く程の正確性で反映されています。

図3.35の上で見られる様に、ペルセウスが火星に騎乗している事について中世の観測者はとても正確で:「それに乗っている者は、人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きなつるぎを与えられた。」(黙示録6:4)とされます。当時、火星は実際に、ペルセウスの足の真下に位置していました。これは、1486年10月1日のための火星の位置を共にしたプトレマイオスの Almagest からの中世の図表の断片を表す図3.36の上にはっきりと観られます。火星はペルセウスの足の真下の双子座の中にありました。そして、ボスポルスの環境における、地元時間23:00の、地元の地平線の線に対して比較して、火星は正にペルセウスの下でした。最後に、天の川の明るい発光的な帯は、夜空において正にペルセウスと双子座を通りました。それが、その日付における火星の位置で、天の川が双子座とペルセウス座と同時に火星を結び付けている様に現れました(図3.36)。その中世の観測者は、この注目すべき出来事を指摘しました。

ですが何故、その観測者は双子座では無く、ペルセウスとのコンビネーションにおいて火星を示したのでしょう?実際に、双子座がゾディアックの星座の一部である間、ペルセウスはそうではありません。その観測者がこれを行った理由は、黙示録の著者が描写していたのが、とても劇的な出来事である、来るであろう審判の日、であった事実によるのは、明白でしょう。故に、彼は、大規模な大災害の精神に対して最大限に関連する象徴を選択したのでしょう。

最初の主要な惑星(木星)は射手座の中にあると証明され、つまり、弓と矢と共に描かれた「好戦的な星座」でした。

2番目の主要な惑星(土星)は蠍座の中にあると証明され、つまり、恐ろしく、殺傷的に危険な星座でした。

3番目の主要な惑星(火星)は、双子座の中にあったと証明され、つまり、「平和/穏やかな星座」でした。ですがこの瞬間にその真上にあったのはペルセウス座で、彼の手に、蛇の髪と、生きているものの全てを石に変えてしまう眼差しを持ったゴーゴン・メデューサの首を取ったつるぎを持つ、好戦的な星座でした(図3.36)。更に加えて、火星自体が、よく知られている様に、戦争の神として考えられました。黙示録の著者が、終末論的なシナリオとの完璧な一致のために、つるぎを持つペルセウスを選択したのは、故にとても明らかです。

火星が何故、N.A. モロツォフによって解釈された黙示録のギリシャ語の文章の中で「反対側へと超えて行った」と言及されるのかを、人は理解し始めます。図3.32は、1486年10月1日において、蠍座の中に集合したその他の惑星(?)のオポジション(180度反対側)に、火星が本当に目視可能であった事を実証します。地上的な観測者は、木星、土星、月、水星、そして太陽を、天界的なドームの一つの側に見て、そして火星は図3.32の上でその反対側に引き寄せられています。

何故、モロツォフは、1249年と1486年の解決策を否定したのでしょう?モロツォフの答えは単純で誠実でした。彼は正直にこう説明しました:「これに関して、黙示録が1249年9月14日に書かれたと思い切っていう人は誰もいないでしょう」([544]、第1巻、53ページ)。彼は可能な解決策として1486年を考えさえしませんでした。

しかしながら、N.A. モロツォフの時代の70年以上後の現在、そしてその他の物事と同時に、新たな年代歴についての私達の本から得られた新たな結果に頼り、人は自信を持って黙示録が1486年に書かれたと主張する事が可能で、つまり、オットーマン=アタマン(オスマントルコ)の征服の時代の間です。更なる詳細のために年代歴6を参照して下さい。

私達の再構築において何故、1486年が、黙示録の記述のための最も適合する日付なのでしょう?よく知られている様に、黙示録は主に、審判の日に関連した問題の全てに関係したものです。「黙示録とそのヴィジョンは(最初の三章を除いて)・・・世界の最後の時、または終末論のイメージで、啓示のためのマニュアルとしての役割を果たさなければなりません」([845]、ブック3、第11巻、511ページ)。ですがその年、中世のキリスト教世界の全体が、恐怖の中で審判の日を予想していたのは、歴史において知られています。これは西暦1492年で、ビザンチン時代のアダムから7000年目でした。その時代の伝統によると、審判の日は正にその年に起こるはずでした。

その黙示録は故に、西暦1492年に予想された審判の日の進行に拘わっていました。黙示録の最初の行ははっきりとこう明言します:「時が近づいているからである。」(黙示録1:3)それは、西暦1492年、またはアダム以来7000年目の近さを意味します。1492年の、審判の日の予測の時代において、コロンブスが出港した事に着目して下さい。

故に、私達の独立的な、1486年 - つまりアダムから6994年目 - に対する黙示録の年代鑑定は、その本の内容と理想的に一致します。その黙示録は15世紀における予測された世界の終わりのたった6年前に記述されました。

黙示録を15世紀の終盤に年代鑑定する事はまた、年代歴1の5:9.3章の中で論議された、私達の形式的で数学的な分析と理想的に一致します。その結果は、黙示録が年代歴的に、新約聖書の最後の本では無く、旧約聖書の最初の本の一つであると言う事実にあります。つまり、黙示録は年代歴的に、福音書と共にでは無く、モーゼスのペンタテューク(旧約の最初の五冊)と同時進行で起こります。私達は現代的な聖書が正にモーゼスのペンタテュークと共に始まる事を思い出しましょう。

言い換えると、黙示録は、福音書に続いて、年代歴的に不正確な場所に入れられています。それは福音書よりも、もっと後に記述されました。福音書は、私達の再構築によると、11世紀の出来事を描写します。以下の更なる詳細を参照して下さい。

18.黙示録の元々の内容の私達の再構築

黙示録は、天文学的な象徴を共にした予測をマスクする審判の日を予測します。しかしながら、16-17世紀のその後の出版において、この象徴が不透明だったのは可能です。黙示録の中にはホロスコープが暗号化されていて、そしてそれを年代鑑定する可能性を供給します。そのホロスコープの日付は1486年10月1日で、それは1492年の審判の日の予想された中世の日付に理想的に一致し、それは私達の再構築の中で詳細に説明されました。

その黙示録は、アダム以来7000年目、または西暦1492年において来るであろうとされた審判の日として、中世のキリスト教世界の全体が知覚したものの数年以前の西暦15世紀に書かれた可能性が最も高いでしょう。

黙示録が、4冊目の福音書の著者であるジョン(ヨハネ)によって記述されたとする一般的な意見が明らかに間違いなのは、福音書は11-12世紀に記述された可能性が最も高く、つまり、15世紀よりも以前であるためです。対照的に、使徒ジョン(ヨハネ)と黙示録の記述者ヨハン(ヨハネ)が別人であると言う多くの昔の教会の記述者達の主張は、啓示書の私達の独立的で天文学的な年代鑑定によって肯定されます。故に、福音書と黙示録は、十分に異なった時代に記述されました。

私達は既に、黙示録の時代と、ペンタテューク(旧約の最初の五冊)の時代が重なる様だと指摘しました。私達が年代歴6の中で実証する様に、これは15世紀のオットーマン=アタマンの征服の時代で、つまり、モーゼスとアーロン - レオとライオンの指導の下における「聖書的な出エジプト」です。黙示録は彼を「勝利する者」と言及するにおいて正解です。獅子座は、「明けの明星」、または金星によって「飾られます」。黙示録に記述された「勝利する者」と獅子座 - アーロン、またはモーゼスの一致はまた、以下の節によっても証明され:「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い石を与えよう。この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある』。」(黙示録2:17)聖書の出エジプト記の中でマナが描写される事を私達は思い出し、それは、私達が年代歴6の中で実証する様に、15世紀のオットーマン=アタマンの征服を伝えます。ですが - その上に「新たな名前」が綴られた - 白い石において、その上に新たな法律、または申命が書かれたモーゼスの石板だと直ぐに理解出来ます。

黙示録を天文学的に15世紀の終わりと年代鑑定した後、全く新たな観点からこの聖書的な文章と中世のイラストを再検証するのは興味深いでしょう。黙示録の中世の16世紀の絵が、図3.41の上で見られる事が出来ます([745]、第八巻、442ページ)。マスケット(銃)を撃っている騎手を私達は見る事が出来ます(図3.42)。マスケットのロックはとても明らかです。その騎手は引き金を引き、そして銃身は発砲を吐き出します。その銃身に火薬の角笛が接続しているのが見られます。「死」と言う言葉がその騎手の上に記述されています。彼等のイラストの中に黙示録が描かれた時,中世の芸術家達はその時代の現実を反映していたと私達は理解します。火薬武器、マスケット、そして銃が、15世紀の戦場において既に広く使用されていた事はよく知られています。例えば、1453年のコンスタンティノープルの兵糧攻めにおいて、オットーマン(帝国)は、銃砲を使用しました([240])。

黙示録からのもう一つの16世紀のイラスト([745]、第八巻、451ページと図3.43)は、それから炎の源泉が漏れ出すパイプに中に息を吹き込む」天使によって行われた破壊を表します。これは恐らく大砲の玉、またはケースの弾丸を撃っている中世の銃器を描写します。その中世の芸術家は、その球が着地した場所の大きな爆発の炎を描写します。明らかに、中世において、銃器は火と煙を吐き出すパイプとして時に描かれました。黙示録のイラストの上に銃器を描写するこの伝統は、18世紀の近年まで生き残りました。図4.44は、1799年のコメントされた黙示録([745]、第九巻、485ページ)からのイラストを供給します。その全体においてその題材は16世紀のイラストと同じで - 「パイプに息を吹き込んでいる」天使が火を吐かせています。私達はまた、遠くのミサイルの爆発から昇る炎を目撃します。図3.45([745]、第九巻、486ページ参照)の上で人が見る黙示録の中世のイラストの中で、銃の一撃が更にもっと鮮明です。上部に私達が見るのはその中に天使が息を吹き込む「パイプ」です。そのパイプから炎が出て、そして私達が見るのは投射物が地面にぶつかる遠くの爆発です。

15世紀、そしてそれ以後から、銃はヨーロッパにおいて恐怖を呼び起こしました。近年に書かれた黙示録に対するイラストの上のその様な恐ろしいイメージの現れは、故に完全に自然的でした。この全ては、間接的にではありますが、15世紀の終わりへの黙示録の私達の天文学的な年代鑑定を追認します。
[第三章終了]

フォメンコの論説:
黙示録は、西暦1486年に、1486年の夜空を観測した人によって記述された。

否定:
もし、黙示録に西暦1486年の夜空が描かれているなら、春分/秋分と夏至/冬至の地点は、黙示録の中に記述されている様に、牡牛座、獅子座、蠍座、そして水瓶座の中では無く、魚座、双子座、乙女座、そして射手座の中になければならないため。

理由:
ゾディアックの輪は、歳差運動と言う現象によって、とてもゆっくりと時計回りに動いています。この運動は72年に1度の角度で移動します。ゾディアックの12の星座は、360/12=30度ずつ区切られています(実際の空の星座は全てが同じ大きさでは無いので、正確に30度ずつではありませんが)。

例:2017年1月1日0時0分 UTC の惑星の配置(12の星座が30度区切りで分類されている事に着目して下さい)

2017-01-01.php

故に、例えば春分点が一つの星座に入り、次の星座に抜け出すまでに、72年 x 30度 = 2160年かかります。

現在の春分点は水瓶座の中に入ったばかりですが、過去、約2160年間、春分点は魚座の中にありました(故に魚=キリストの時代でした)。

水瓶座に入ったばかりの、現在の春分/秋分、夏至/冬至の十字の位置
水瓶zodiac

フォメンコが主張する様に黙示録が西暦1486年の夜空を描いているなら、春分点は魚座の中でなければなりません。

現在の水瓶座時代よりもひと昔まえの、魚座に春分点があった時代の十字
魚zodiac

逆に、西暦1486年の黙示録の記述者が、牡牛座に春分点があった時代、i.e. 魚座(約2160年間)+ 牡羊座(約2160年間)=4320年間を逆算しながら、それ以前の牡牛座の時代(現在から約4320年前から6480年前)の夜空を黙示録の中に、西暦1486年に記述したなら、とても博識な偽造詐欺でしょう。

牡牛座の中に春分点があった時代の十字
牡牛zodiac

もしくは、黙示録は牡牛座の中に春分点があった時代、今から6480年前から4320年前の時代に当時の夜空を観測した人によって記述されたものです。

参考資料:
エイジ・オブ・アクエリアス
ゾディアックのサイン
初心者向け占星学

アナトリー・フォメンコ
アナトリー・ティモフェーエヴィチ・フォメンコ(露: Анато́лий Тимофе́евич Фоме́нко、英: Anatoly Timofeevich Fomenko、1945年3月13日 – )はロシアの数学者、モスクワ大学教授、ロシア科学アカデミーの正会員。トポロジーの研究で知られる。また歴史書の編纂にも協力している。ウクライナ・ドネツィク生まれ。

数学での業績
フォメンコはロシア科学アカデミー、ロシア自然科学アカデミー、国際高等教育科学アカデミーの正会員、物理学と数学の博士であり、モスクワ大学数学科の微分幾何学部門の責任者でもある。また不変理論や、積分可能なハミルトニアン系のトポロジーによる分類の著書を著している。また幾何学、トポロジー、変分法、シンプレクティック幾何学、ハミルトン力学などに関する180以上の学術論文と26のテキストを執筆している。さらに、経験的統計法を創始し、それの歴史学への応用についての本も多数出版している。

新しい歴史体系の提唱
フォメンコは、十二宮の統計的相関関係に基づいた独自の「新歴史学(New Chronology) 」を創始した。彼は、これまで信じられてきた年代とは数学的に合わない多くの歴史的事件を発見したと主張している。彼は、古代ギリシア、古代ローマ、古代エジプトを含む古代史全てが、中世に起こった事件の反映に過ぎず、また中国やアラブの歴史全てが、17世紀から18世紀にかけてのイエズス会によるでっち上げだったと主張している。また、イエス・キリストは12世紀の人物で、コンスタンティノポリスで磔刑にされたということや、トロイア戦争と十字軍は実は同じものであること、モンゴル帝国のチンギス・ハーンは実はロシア人であったということなども主張している。一次資料を論争の対象とするだけでなく、フォメンコは年輪年代学や放射性炭素年代測定といった年代測定の方法論に対しても真っ向から異を唱えている。

フォメンコは、共著者とともに新歴史学について全7巻となる予定の著作「History: Fiction or Science?」を執筆中である。2008年7月の時点では第4巻まで発行されている。

しかしながら、彼の歴史体系は正統の歴史学者や科学者からは完全な疑似科学と捉えられており、まともに相手にはされていない。

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